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11/19(月) ものすごく、元気。

COCOパパです。

COCOは元気です。
ものすごく、元気です。
毎日、元気に散歩に出かけます。

見えないのに恐くないのかと心配するほど、
リードをグイグイと引っ張ったり、駆け出したりすることもある。
調子に乗りすぎて、たまに電信柱や看板に鼻先をゴツンとやるけど…。

以前から、COCOには「お気に入りのコース」がちゃんとあって、
違う方へ行こうとすると、決まって同じ曲がり角で
「そっちじゃない! こっちこっち!!」と言ってきかない。
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それは見えなくなった今もかわらない。
こちらも甘いものだから、結局はCOCOの言いなりになってしまう。
「まったく、見えないのにどうして道がわかるの?」

今の季節は、日の出の頃が朝の散歩の時間。
朝日を浴びて、COCOも気持ちよさそう。
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陽の光に、「さあて、今日も一日がんばるわよ!」ってか?
「見えないのに、光も感じてないはずなのに?」

階段だって平気、平気。
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見えていた時に比べれば、ちょっと慎重だけど
それでもスイスイ、上っちゃう。
「見えないのに、どうして足を踏み外さないの?」

雨の日だって、お構いなし。
ど派手なカッパを着て、ど派手に歩き出す。
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今の時期の雨は、とても冷たい。
こちらの方が腰が引けてしまうのに、COCOは全然平気。
「見えないのに、雨に濡れるのが嫌じゃないの?」

「見えないのに……見えないのに……」

気づくと、そればっかり思う自分がいる。
見えないCOCOを可哀相に思う。
さぞかし不便だろうと、心配に思う。
でも、COCOはそんなこと気にしちゃいない。
COCOの周りのモノも、そんなこと知ったこっちゃない。
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顔を出したばかりの太陽の光は、
COCOの陰を、ありのままに壁に映している。
見えてるとか、見えてないとか、そんなことはまるで関係ない。
そのままのCOCOの姿を、そのままに映す。
しっぽの先まで、COCOの通りのCOCOの影。

思えば階段だって同じ事。ちっとも容赦しない。
見えないからと、手加減なんかしない。
COCOが上るときだけ、段差が低くなったりしない。
硬いコンクリートは、柔らかくなったりしない。

冷たい雨は、冷たいまま。
COCOにだけ、温かいお湯のシャワーに変わったりしない。
そのままの冷たさで、冷たくCOCOを濡らしている。

COCOのまわりにあるものは、COCOに等しく接している。
「見えないのに…」 そんな偏った見方をしない。
ありのままのCOCOを、ありのままに包んでいる。
他のワンコと同じように、ある時は厳しく、
そして、ある時は優しく接している。
どんな時にも公平で、どこまでも平等に。

COCOだって、それを受け入れているんだな。
「見えないのに…」 そんな気負いは、さらさら持ってない。
見えないことを悲観したりしてない。
明るく、陽気に、元気で。
今日もCOCOは、COCOらしく。
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「ねえ、ねえ! 今日はどこ連れてってくれるの~?」

COCOは、ものすごく、元気。
 
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目の精密検査。 ――その結果。

COCOパパです。

今日、国立大学の附属動物病院に、
見えなくなってしまったCOCOの目の検査に行ってきました。
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9時半からの診察では、精密検査をする前に、まずは簡単な検査を行いました。
その結果は、あまり芳しくないものでした。
COCOは白内障とは別の「網膜萎縮」という病気の可能性があるとのこと。
精密検査のため、COCOを預けて、3時に迎えに来ることになりました。
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3時までは5時間もありますが、不安な気持ちを抱えながら家に帰る気にはなれず、
とりあえず、公園で時間をつぶすことにしました。
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「府中の森公園」でちょっと気持ちを落ち着かせて、
冷静になろうと考えたのですが、あまりうまくいきません。
そこで、今度は「府中市郷土の森博物館」へ行くことにしました。

ここは、息子がまだ小さいころ、そのとき開催されていた「恐竜展」を観に
夏の暑い盛りに電車とバスを乗り継いで来た、思い出の場所。
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古民家や、パンツひとつになって遊んだ噴水などが、
とてもとても懐かしくて、わずかながら気持ちを落ち着かせることができました。
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この中に、「ぶんぶんぶん」や「巣立ちの歌」などの作詞でも知られる
府中ゆかりの現代詩人、村野四郎氏の記念館がありました。
そこに、「犬」という一編の詩があって、それが何かを暗示しているようでした。
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懐かしがったり、落ち込んだりの時間でしたが、
秋の澄み渡った空に向かって勢いよく水をあげる噴水に、
木漏れ日が差し込んで、とても気持ち良さそうでした。
私達は、心を決めて病院に戻りました。
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しばらく待合室で待っていると、ようやくCOCOがでてきました。
COCOはまだ麻酔が効いているらしく、少しフラフラしているようです。
そして、診察室に呼ばれて、診察結果を聞きました。

眼底の写真には、わずかに細い血管があるだけで、ほとんど機能していません。
電極に繋いだコンタクトレンズを装着して、光をあてて反応をみる、
「フラッシュERG」や「フリッカーERG」という検査でも、ほとんど反応していません。
やはり、COCOは「進行性網膜萎縮」という病気に侵されていたのです。

「進行性網膜萎縮」とは、網膜の視細胞が変化して網膜が薄くなってしまい、
次第に視力がなくなってしまう進行性の疾患のことです。
初期は、暗いところでの視覚がなくなり、徐々に明るいところでも
モノにぶつかるようになるそうです。

常染色体性劣性遺伝子により遺伝し、唯一病気が発症するには
両親からPRA遺伝子という遺伝子を受け継いでいることが条件で、
COCOは、まさにこのケースに合致したことになります。

もうCOCOの目は、まったく見えなくなっていて、
残念ながら、この病気を治療する方法は今のところないそうです。
COCOの目は、もう一生見えることはないのです。

私達にとってこの診断結果は、もちろん悲しく、ショッキングなことです。
でも、病院の先生が親身になって詳しく診察してくださって、
そして、解りやすく詳しく説明していただいたことで、納得することはできました。

残念なことですが、この事実は受け入れないわけにはいきません。
結果的に、白内障手術をしてくださった先生の診断には間違いはなく、
COCOのためとはいえ、この診療を受けたことは恩義に背くことだったかもしれません。
それは本当に申し訳なく感じますが、私達も必死でしたので許して戴きたいと思います。

8月28日に白内障手術をして、右目が見えるようになって大喜びしたのに、
そのわずか一ヶ月半後の10月17日に、再び暗闇に戻ってしまったCOCO。
そして、もう二度と何ひとつ見ることができないCOCO。
この一ヶ月半は、いったい何だったのでしょうか。
考えてみれば、こんなに残酷なこともないように思います。

でも、COCOはどうだったでしょう。
見えるようになった一ヵ月半、思い切り走り回って、
いたずらして怒られたり、満面の笑みで私達の顔を覗いたりしていました。
その時間は、間違いなく幸せだったのだろうと思います。
私達も、幸せだったと思います。

それで、良かったのではないでしょうか。
決して無駄なことではなかったのではないでしょうか。
私はそう思います。そう、信じてあげたいです。

その時間は、もしかして神様がくれた時間だったのかもしれません。
これからどんなことがあっても頑張れるようにと、
もう一度、いろいろなものをCOCOの記憶に焼付けてあげようと、
神様がくれた、かけがえのない大切な時間だったのかもしれません。

どんなに泣いても、悔やんでも、その時間はもう戻ってきません。
だから、COCOはこれからも元気で明るく頑張ります。
だから、私達も精一杯のサポートをします。

だからみなさん、
これからもCOCOと仲良くしてあげてください。
COCOの力になってあげてください。
どうか、よろしくお願いします。
 
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